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森林美学

「なぜ私は、結局、最も好んで自然と交わるのか。それは、自然は常に正しく、誤りはもっぱら私の側にあるからである。自然に順応することができれば、事はすべて自ずからにして成るのである」
ドイツ古典主義からロマン主義へ転じる大きな役割を果たした、詩人ゲーテの言葉です。

この理念は、新島善直と村山醸造の1918年の著書『森林美学』に大きな影響を与えています。
新島と村山による『森林美学』は、先駆けてドイツのザーリッシュが確立した「森林美学」にも影響を受けていますが、ザーリッシュの美と功利の混合を批判的に継承する内容となっています。
新島と村山の『森林美学』は、芸術論的に「創作、鑑賞、解釈」の違いを明確にし、自然美の鑑賞と林業技術を分けたところに独創性があります。

新島と村山の『森林美学」では、自然の美が普遍的な根本の美的価値であることが前提であり、これを基にして、実現のための方法論が選ばれる、という関係性の秩序を重視し、ザーリッシュの目的と手段の混同を是正しています。

現在の里山では、林産を目的とすることもあるでしょうが、その際に自然美と一緒に議論される機会が多いとは言えないと思われます。そもそも「自然美とは何か」に、当時注目を集めていたヴントの心理学や美学を用いて、普遍的な自然美を答えようとしていた新島と村山の先見性は、現在でも重要な役割を果たすと思われます。

特に林産による収益を目的とせず、心の潤いを取り戻す寛ぎ効果や、落ち着きが必要な教育効果を考えると、里山の自然美は重要な位置づけとなるはずです。

新島と村山の『森林美学」の最大の特徴は、風景の要素として森林美を重視し、原生林の重要性、景観としての森林の配置、天然林の美を取り上げ、多様な美的価値を論じたことです。
当然、粗暴な択伐林への否定があり、実践的な課題に美学的に取り組む体系を成しています。

新島と村山は「森林美は誰にとっても普遍的な美である」としています。
芸術論的に、もしくは美学的に考えた自然美の可能性に言及し続けます。
そこには多様性がありながら統一があり、統一がありながら多様である矛盾が存在しています。

里山に関わるすべてのひとが、美学的な原理を学ぶ必要はないと思います。
ノイホーフ事業では、こうした自然美の可能性を損なう議論を、減らすための仕組みづくりを重要視します。
                             参考:海青社『森への働きかけ』