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百姓先生

「週一回働けば、家族4人が1年間食べていけるお米が作れる。それが1反という広さです」

加須研修農園で最初に教わった言葉です。
百姓先生は質問をすると「うーん」と長い時間をかけて考えて、結局答えてくれません。
ですが、教えていただいた言葉よりも、後でその理由がわかることがすごく多いのです。

もともと埼玉県小川町で、金子美登氏より農作業を教わり、お米では不耕起田んぼの岩澤信夫氏の方法を学んだ我が百姓先生。
基本的に機械を使わず、農薬も肥料もほとんど使わずにお米を育てる方法を教えてくださいました。

「機械がないと作れない、薬がないと作れない。そんなことないんです!」
と力説します。
力説するだけで、理由の説明はもちろんなしです。

「お米はそんなにやわではありません。強いから主食なのです。でなければ生命を預けられません」
「お米は作れる、作ってみたらできちゃう。そのことを知ってほしい」
脈絡なく話してくださる言葉の中には、よく考えてみるとなるほど、と思うことが詰まっています。
思い出すのは、だいたい農作業をしているとき。身体で納得しているのだと思います。

私たちは自分の生命の最後の最後に支えてくれる糧に、とりあえず条件を付けています。
機械がなければ、薬がなければ、生きていけないと嘆いているのです。
少し考えてみれば、こんな馬鹿げた話はありません。
そしてその疑問を行動に移すと、とりあえずは周囲の人々に笑われてしまいます。
それはずっと生命を支えるプロフェッショナルであった農家の方々が、ずっと工夫して続けてきたことと違うからです。
私たちは生命の維持にとって重要なことを忘れているだけでなく、他人任せにしていました。
笑われて当然です。

百姓先生は機械がなくても、薬がなくても作る方法を教えてくださいました。
今思うと、「なぜこんなに面倒なことをするのだろう」と思うことにも意味があります。
秋になってから、病気が心配でいてもたってもいられなくなっても遅いのです。
「強いお米に育てるのです」

身体に蓄えられた知識は、本に載っているノウハウではなく、生命そのもの、人格そのものです。
私たちがそれを学ぶためには、身体を使いながら経験として、思い知っていくほかありません。
百姓先生に一年の最初に、そして一年の最後に言われた言葉を、思い出します。

「田植えに来た人は、稲刈りにくること」
これがとても大切なことです。